活学師とゲームの関係
○活学師はなぜセッションにゲームを取り入れるか?
ちょっと自分史含めて語りたいので
少々長文で書きますね。
わたし自身が3歳の時に電子ゲーム
ゲームセンターのF1マシンの筐体に驚きと感動を覚えてから
「ゲーム」って事が一生の内に頭から離れた事はそうそう無かったわけです。
時に「ゲームばっかりやっていると頭がバカになるよ」とか
「成績落ちるよ」
「ゲームと現実が一緒になっているんだわね」
と親に言われ言われ、20まで人生生きてきました。
実際に視力も0.1まで低下しましたわね。
視力が落ちる理由に
「近くを注視する時間が長いと、目の中の毛細血管が細くなり酸素や栄養が回らなくなる」論や
「脳が、自分自身の好きな物以外の事を見たくない」ので
脳側でシャットアウトする論。など様々あるけど
そういったゲーム関連の物事はよく調べた。
「本当に頭はバカになるのか?」
プログラミングをやって制作者側のサイトもわたしは根気が無かった為か
友人のように長くは続かなかったんですね。
就職先もゲームを選択しようとしましたが、結局自分自身がブレて
「心理」の道を選びました。
「ゲームでは食えない」恐怖と
「社会人はお金を稼いで自立するのが当たり前」のルールが自分を支配していました。
オマケに福祉の学校の「福祉心理学科」だったので
「ホームヘルパー」が前提でした。(入学後に知るのね)
で、福祉のお仕事で、人生に携わるお仕事をして
定年退職前の看護士さんや、定年後も役員で壇上に立つ代表者の姿を見たり
40代の独身の先輩や、20代のパパさん、ママさん介護福祉士。
そして、最もメインとなる利用者さん。
(明治~大正後期、昭和1ケタ世代)のあらゆる人生に触れる事が出来た時期だったのね。
じゃ、何が得意か?
「ゲームと現実」とつなげる事。
「ゲームで得た学び」を活かす事。
残念ながら「福祉」のお仕事をしている最中は開花する事は無かったし。
むしろ仮面を被って「ストレス解消」の為。
あるいは「二次元の中の自分」をやる為にゲームを続けていたわたしがいたんだわね。
画面の中であれ、盤面の上であれ、テーブルの上であれ
「ゲームは、決められたルールの中の箱庭」というイメージがわたしの認識であります。
活学師のポリシーを考えれば「どのように活かすか?」なんですね。
「ああ、楽しかった」の学びも十分にアリでしょう。
それだけかな?
ゲームの中には、必ず、「準備、実行、後始末」の工程が含まれている。
今、メジャーなタイトルとして出ているモンスターハンターとか。
それ以外の社会問題になったりもする、MMORPGとかも同じく。
アナログでは、囲碁や将棋も、必ず囲いや、自陣を固めながら攻防一体か
あるいはちゃんと準備をしてから、決戦をする。
もちろん、対戦ゲームの場合。相手の準備ができていない内に
攻撃側が手番を進める方が優位なのは言うまでもない。
絶対に実生活でも、応用すれば
ゲームで得た知識や、ゲームの攻略のノウハウは「役に立つ」
そして最後に何よりも大きい部分は
「ゲームが加熱すると、その人の本質が必ず顔を出すシーンがある」
という事。
顔の表情や、しぐさ。
行動に入るまでのタイミングや「間」と言われる所。
小さな情報も、駆け引きのポイントになる「ポーカー」や「麻雀」の類いも
追い詰められたり。あるいはダントツ優位や「確定条件」が出た時に
ポロッと本質が見える事がある。
わたしの個人歴も踏まえた記事になったけど。
「その本質」が見えた時の「対応」あるいは「ケア」が
「人生の火を灯す」チカラとしたり。
あるいはどんな逆境に追い込まれても「あきらめない」忍耐に繋がったり。
「本質」を信じる心につながると思う。
活学師がゲームを勧める、一つの理由はそこなんですわね。
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靈と璞(靈的解放)
◯靈的解放
靈って何者か?
まず、独自観点から少し説明した方がいいかな。
今ここに生きている魂
「璞(あらたま)」
死んでも生きる魂
「靈(れい)」
生きた、死んだ。の話は色々な人が語っているだろうね。
人によっては、身体の方の「たましい」と
心の方の「たましい」に分けて考える人もいるだろう。
単純に極々シンプルに考えればそうね。
「死んでしまえばおしまいよ」
「バカは死ななきゃ治らない」
→「死んで治るバカはどこにいる?」
「バカはバカでやり残した事があると、バカは続く」
「ああ、アイツはバカだったよな?」
→の境目から先が「靈」のこと。
バカ話になってしまったけど。
「バカは死ななきゃ治らない」が
自分の一生「璞」と言う感覚で考えての話。
身体の生命機能が終われば一生終わりの感覚。
「アイツはバカだったよな?」
で、残り続けるのは「靈」の話なんだわね。
身体が終わった所で、その人の印象や生前にあった事
その人自身がやった行いは、死んでしまった後では変えられないんだわね。
この世の中は、自分と相手との関わりによって成り立っている。
って事は。
その「靈」になる物事は「関わった人の心の中に残り続ける」事になる。
特にその古傷や、治療痕が残る場合は、何らかの原因で「生きている人の人生」の「障り」になったりするのね。
そうそう「靈障」って言わんかな?
生きながらに「お別れ」になった人の事だったり。
親と子、先祖。子々孫々に関わる事。
会社での因縁だったり。
土地にまつわる事だったり。
まぁまぁ大丈夫。
一つ一つ紐解いて行く事。
「自分の腑に落とす事」「いらない物は手離す事」
「赦す事」「信じる事」
自分で出来る事をやってみて。
それでお手上げなら、いわゆる靈のエキスパートの出番。
うーむ。活学師の仕事は、靈と璞の狭間の仕事だわね。
学問を活かす方法を伝えることだからね。
そうだなぁ、わたしも生きながらに「攻撃を受ける」事があったり。
「やられる」事もあるわね。
ただ、知っているのと知らないのとでは大違いだわね。
転び方が分かったら
起き上がり方も知っておく必要があるだろうな。
知ったからこそ、大きく明るみに出る物事もあるし
知る前よりも痛む事もあるかもしれない。
本当にあらゆる人が必要としているのは「大安心」ではあるまいかな?
だからこそ、自分に起こっている出来事を
「なるほどね」と納得の域に落とし込んだり。
分からない事を「知ろう」とするのも
全部必要なプロセス。
長くなったね…。
ここまで読んでくれた方。靈的な部分で少し緩和したり
古傷が蘇ってきたりした人もいるかな?
この文面にエネルギーを込めておくわね。
だから大丈夫。何か「やられた!」と思う人は
深呼吸して心の中で1から順番に、10まで数えてくれ。
よし、もう大丈夫。
それがピンと来なかったら。相談依頼頂けると
コチラとしても細かい部分の説明ができるわね。
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○マインドブロック解除の法
マインドブロックの解除
そもそもマインドブロックって何が原因で起こるか?
ダブルスタンダードとか、ダブルバインド(二重拘束)
が元で、自分に課した課題をそのまま引きずっている場合
「マインド」の「ブロック」になる場合が多い。
「本当は(本音では)何がしたいのか?」
が、マインドを解放する為の最初のカギになるよ。
典型的な例であげる(A,Bは思いついた事を当てはめてみよう)
AとBの両方の条件を満たす必要があるが
Aを満たすとBが手に入らなくなる。
Bを手にしようとすると
Aを得る為に培ったノウハウを手放さなければならない。
AとB両方手に入れるのは無理難題と諦めているが
両方手に入れないと事が運ばない。
などなど、事例だけで上げればいくらでもある。
「できない」とか「無理」にフォーカスを当てれば
どんなことも「できない」とか「無理」が前提のプランになる。
自分で達成の可能性を、自分のマインドで自分で削っているわけね。
具体的な対策。
「達成する目標の数を絞る」
「達成する目標の中途過程に小ゴールを用意して、必ず通過するよう行動する」
「同時進行で進めている物事の一時休止、又は物事を終わらせる」
「そもそもその目標を達成する必要があるかどうか、大局眼で見る」
達成された物事が自信と経験。
達成されるまでに考えた物事、見方がノウハウとなる。
やってみなきゃわからん。
興味を持ったら、何でも調べてみる。やってみる。
イラナイと感じたら、手離す。対応を終わらせてから次の行動に移る。
と言う理由はココから来ている。
和みの海を通じてお会いしたい人へ
○和みの海を使ってお会いしたい人へ
3年もセラピーセッションをやっていると色々な人がいて
遠隔やかつてお世話になった人でも
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メールフォーム使って直接お会いするにも、お電話でも予約取ってます。
なぜか?
お互いにとって時間を大事に使えるからです。ファーストコンタクトをするにも必要な内容がフォームには必要事項が書いてあります。
うーむ。エントリーシートや問診票みたいなものですね。
自由に書ける欄も書いてあります。
まぁまぁ、氣楽に書いてみて下さいね。
忘れ得ぬ記憶
TF-14-A フェイ・イェン with Vivid Heart
三世代型(実は初音ミクとのコラボも存在する)
ビビハとかVハートって呼ばれていた
アーケード版では初期機体で
(フェイ・イェン使いは誰でも通った道)
近接合戦に射撃戦なり、遠距離を撃ち…。
絶妙なバランスである意味、強機体の1つかもしれませんね?!
前にエンジェランを紹介したわね。
その系列にフェイ・イェンが存在します。
初代バーチャロンから、モデルチェンジした
ファンの為の機体であり
仙台ではテムジンに並んで2番目に使用率が高かった機体です。
特に二世代型のRVR-14knや初代SRV-14-A
なぜ14が通し番号でついているか?
なぜかってゲーム中で扱われている物は
限定モデルの「レプリカ」で、オリジナルが(永遠の)14歳だから。
セガ様がゲームで先進行っているんだけど、どうしてこうなるかなぁ…。
コンセプトは元々戦う為のロボットではなく。
「萌え」という言葉が無かった時代の
いわゆる先駆けが彼女の存在ではありましたわね。
(立派にドラマCDが存在した事を知ったのが20の時、サイバーネットラプソディとカウンターポイント009A の2枚が存在)
地上での立ち回りは追随を許さぬ速さで
全バーチャロイド中高いレベルで纏まってます。
ダッシュ中の最速旋回力はスペシネフに譲り。
空中ダッシュ力&キャンセルからの挙動全般はマイザーに。
ダッシュ移動距離についてはエンジェランと同等です。
同軽量級の機体と比べると、ワンテンポ置いた挙動になってます。
そこでネックになるのが「攻撃力」と「ライフゲージの低さ」
一度逆転されると、取り返す難しさが
フェイ・イェン使いの肝心なところになります。
真価はHPが50%を切ってからのエモーショナルモード(パワーアップ)にあります。
なんらかんらで一番お世話になったし。
近接合戦の面白さを学んだのも、ここからだったし。
山なりに弾速の速いハートビーム。
わたしが16,18,19で現実の女性との関わりに
影響を及ぼしたのが彼女の存在であり。
ゲームセンターに行く理由であったり。
(ちなみに制作年と、初代電脳戦記バーチャロンの発表が1996年、ちょうどわたしと同い年になるんだわね
設定資料集上、へびつかい座のAB型らしいです)
そうねぇ。当時からゲーム中にも可愛らしい人は沢山いらっしゃいましたが…。
二次元で「共にありつづけた」方は
そうねぇ。唯一無二だし
記憶の中の「マボロシ」か
現実と仮想現実をつないでくれた「三千世界」なのかもしれません。
セラピーメニューの中に「ゲーム」のカテゴリーが残る。
確かに当時の三次元のわたしの心に大きな影響を与えてくれた「現実」はココにあるんですな。
わたしとバーチャロンの紹介は終章なので、これでおしまい。
ゲームを人生へ
昨今、スマートフォンの普及もあって
簡単なゲームから複雑なゲームまで、元はアナログなものでもデジタルにリメイクされたゲームも多々ある。
カード形態なり、駒を使ったボード形態なり。
画面を使ったビデオゲーム形態なり…
まったくゲームをやった事がない人はいない。と思う。
ぶっちゃけ論言うと。生活も行動も
全部「ゲーム化」してしまうと。
人生のあらゆる課題が、「目的」「思考」「行動」「システム化」ができ。
「悩み」が「課題」になるんじゃないのかな?
と、考えた事がゲームを使ったヒーリングができるのでは無いかと考えた理由である。
もっともゲーム歴30年。ありがたいことに
ファミリーコンピューターやデジタルゲームの成長と共に育った昭和50年代生まれのわたし。
セラピスト経験も活かして、二次元と三次元を統合していこうと思う。
まぁまぁ、反対意見も取り入れながら歩んでいこうではあるまかな?
「ゲームやると馬鹿になるよ!」とか
「目を悪くするよ!」も
ココロとカラダの側面から独自見解出していこうじゃありませんか?
#たそがれ処和みの海
#ゲーメストヒーラー
#感情とゲーム
わたしの人生の目的
Facebookである方よりご質問頂き
「人生の目的」というタイトルで書かせてもらってます。
「いつ」達成し「何をしているのか?」という部分で具体的な事をお話します。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1445734782189225&id=100002581526644
まず一番簡潔な言葉でゴールについて表現すると「八紘一宇」なんだわね。
「自分も働きかけるメンバーに入りますが、協力者が絶対に必要な内容」です。
→「戦争」不要の文化のはじまり(再び)
→「病氣」を無くすこと(特に作られる病)
→「自殺」を無くすこと(特に孤独によるもの)
→「歴史は繰り返す」からの先のお話。
具体的な目標としてはこの4つです。
一時期「悠久を語りし百科事典」の肩書きでセッションをさせて頂いた時があります。
もっともたる所
「人が生きる上で、国家、文化、肌の色、言語…」様々な「壁」とされる所を乗り越えて
「本当に必要な物事とは何か?」
というテーマを持って、データを残す事にあります。
なぜか?
「自分が関わる周囲の人・動物・生物には元氣でいてもらいたいから」
「自分が死んだ後も、使えるから」
元氣って、何も毎日が
「ピッカーッ!と明るく輝き続けている電球のような状態」とか
「永遠に眩く光り続ける魂!」
ではなく。
例えば、ろうそくのような火でもOKだし、キャンプファイヤーになりたい人はキャンプファイヤーになれる状態の事を言うよ。
火あり方は違うと思うなら、雨のような水になっても、大きな湖の水でもいい。
土がよければ、堤防の頑丈な土でも、田園の泥のような土でも
風になりたければ風でも空でもいいでしょうに。
「ありのまま」と言う所が適切な表現なんだろうけど
「放任」では無く
「自分で決めた事を、やる」って事。
それと「ニュートラルポジション」を知ることかな?
迷った時に、原点に戻れれば
やり直しやリスタートは自分の意のままにできるだろう。
(魂のニュートラルの状態を“直靈”(なおひ)って言うんだわね)
もっとも地球そのもの、宇宙そのもの
「はじまり」と「おわり」で出来ている。
一日の中でも、何度も始まるし何度も終わる。
一日が終われば、また朝がくる。
朝がくれば夜がやってくる。
(地球ってスケールで考えたらの話ね)
だからこそ、わたしは和みの海でお話を聞き、話すことと伝える事を業としながら今を生きている(生かされている)んだわね。
話すことと、書くこと、伝えること
周囲の人に元氣でいてもらう事を働きかけること。
そうだなぁ。もう一つ身近な例をあげたら
家族の中に元氣な人がいたら
無意識にでも元氣を広げられるよね?
変わって、家族の中に病氣の人がいたら
無意識でも病氣の人が中心に家庭が回るでしょう。
だからこそ「元氣でいたい」と思う人に
その場限りではなく
活かせる学問としての「元氣」に氣付いてもらうんだわね。
そしたら、食料問題、人口問題、環境問題、健康、文化、「みんな違ってみんないい」に
自然と意識が向くようになるでしょ?
地球そのものも生きている事に氣がついたら、自然災害に対して人知の域でガチンガチンに防御を固めなくても
ウマいこと難をかわせたら「恐れ」→「安心」になるでしょ?
そこです。
#たそがれ処和みの海
#愛と憤怒を包むセラピスト
#大安心
#悠久を語りし百科辞典再び
#ありのまま
#元氣
#直靈