心の安寧に必要な大前提

人類にとってもほかの生物にとっても大事なこと

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何をするにしても、必要な心の状態とは、安心と安寧だよね。
「安心」があるから仕事もできるし、生活の起点も考えられる。

活学師もセラピストの一種と位置づけているけど
仕事として何がやりたいか?と言えば
「安心」出来る場所に氣が付くヒントを出すことと「理解」が難しければ
理解に至る「紐解き」をしているわけね。

活学師は「学問を活かす」って面目で自分が名乗りだしたワケで
どんな学問でも「活かす」事ができてこそ「生活に役立つ」とか「次のステップにつなぐ」って事が出来るわけで

「ライセンスの発行」とか「新しい活学師の育成」をしていない理由はココにあるのね。

「ビジネスモデルにして権利収入にでもしたらいいではないか?」
そういうビジネスモデルのためにセラピストを名乗っている人はたくさんいるし
資本主義経済が現在のスタンダードである以上。

「資格が仕事を呼び、仕事から収入を得
収入から生活を立てる仕組み」
は、いわゆる「一般社会」って所の「常識」になっていると思う。

考えて欲しい物事として。
「学校卒業」の資格に始まり
「自動車の運転免許」「国家資格」「民間資格

「自分の仕事」の幅を広げるために、とか
「自分自身の履歴」とか「職務経歴」として必要とされる物なんだよね?

ある種、お伝えしなければ「伝わらないし」時に
「学歴欄や資格欄も埋まらない」からどうしよう?とか

わたしは30歳越えたけど、無資格だしノンキャリア(日々、食いつなぐ為の生活をしてきた等)
まぁまぁ、物事の見方はいろいろあるね。

じゃあ、食いつなぐためでも
「追われる生活」に安心感はあるかな?
って話なのね。
何に追われているんだろう?
漠然とした不安はどっからやってくる?

分かってしまえば「1つの安心」なんだわね
じゃあ、これからどうするか?から
次の行動が決まっていれば「2つ目の安心」なんだわね。
そして安心のその先に、どうありたいか?
が腑に落ちると「3つ目の安心」なんだわね。

究極、明日地球が終わるとしたら
どんな事をしますか?
ってお話が「本当に自分がやりたいこと」なんじゃあるまいかな?

だからこそ。
安心、安寧につながる為の第一歩として
「やりたくないことは、やらないこと」
「必要なことを、やること」

このように「生きる」と心に決めたら
この先に出てくる、問題や悩みは
すべて「課題」になるんだわね。

課題が出てきてもやもやするなら。
1つ1つ紐解いて「理解して腑に落とせばOK」その後「自分がどう動くか?」

真の安心安寧はココから得られると確証があるわね。
なぜか?
「自分の人生、自分だけでしかコントロールできないから」

そこなんですわね。