何がやりたいか?「楽しく生きること」の提唱だよ
☆最低自分の準備ができれば仕事はできる。
わたしの仕事であり、目的ね。
「楽に生きる方法の提唱」なんだわね。
単純に、カラダが痛い状態で
「本氣で楽しめるか?」
単純に、ココロにわだかまりがある状態で
「人生楽しいか?」
単純に、思考が渦巻いている状態で
「自分自身の思う成功が達成できると思いますか?」
単純に、感情が不安定な状態で
「次に自分がやる事が思いつくか?」
って話なのね。
ちょっとばかし、ココロとカラダがチグハグになっている自分を表現してみたわ。
こんな状態で仕事しろって言われても
この距離で仮メガネが固定されたら
像が二重に見えたり、遠近感がズレてとってもやってられん。
だったら、やりやすいように
カスタマイズしましょう。不具合をバラして修理なり、パワーアップさせたり
時にデチューン(元に戻す)して振り返りましょう。
だからわたしは、段階に応じて
「百科事典講座」の面目で
入門、初伝、中伝で各々の自分のこと。
応用で人生におけるツールの勉強。
奥伝で、人生がどっちに転んでも大丈夫になる事が目標だったり。
それを手に入れれば、明日地球が終わっても「人生は楽しいです!」って言えるぐらいになれる内容だから
ハッキリ言えば、奥伝で完成形なんだよ。
最終的に皆伝の内容って何か?
奥伝の内容をマスターからの応用形と思ってもらっていい。
「教えることは何も無いけど…、最終奥義のその後の秘伝」なんだわね。
よくアニメなどでもあるけど
弟子が師匠を超える内容。
それでも弟子からみればいつまで経っても師匠であることには変わらんでしょうに。
自分の人生を応用するには、時代にしなやかで、自分の志にブレない生き方が必要でしょう。
(そもそも、そんな物無くても生きられるって人は、興味ある方は個人セッションでオーダーメイドしてもらえればいい)
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わたしのお仕事のお話になってしまったけど。
「楽しい」がお仕事だからね。
こういう書き方も自然体だわね。
人生それぞれの楽しみ方があって
みんな違う楽しみのあり方があってもいい。
でもそれでも
「何で会社への文句が飛び出したり」
「家族が足かせになったり」
「政府がうんぬん…」
「世界情勢が…」「経済が…」
「陰謀論が…」
などなど、憤懣がなくならないんだろうかね?
本音で言うわね。
「本当は自分自身でやりたい人生設計」
があるから
周囲の環境や外部の環境に憤懣が出るの。
→応用すれば
「自分のやりたいことがバラバラになっている状態」超不協和音なんだよ。
自分の本当にやりたいことに向かって
「どれぐらいのエネルギー量をかけて、どれぐらいの距離を走って、達成した後はどんな風になっているのか?」
滞りが出てきた時は自浄作用で。
立ち止まった時は自問自答で。
必要なときは、必要な人と手を組めて。
そんな人生が組み立てられたら
自分の人生の終わり方はどうなっているだろう?
それと世界中の人が、みんな自分の思った通りの人生を歩んだらどんな世界になるかな?
ふむ。争う理由も
「ある、ない」に縛られる生き方も
不問になるでしょう。