ゲームその先に

○ゲームが好きなことはそれも人生の1つのファクターだな。
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ゲームに熱狂して、それこそ
「人生の大半がゲームである」って人もいるだろうね。
わたし自身もゲーム歴30年のアデプト?
(そろそろ31年になろうとしている)
の分類に列を並べているかもしれないけど。
1シリーズで最強にハマったのがモンスターハンター2ndGの1120時間。

ゆうに24時間計算で行くと、丸46日間ゲームに時間を使っている計算になる。
(残念ながらそのデータはメディアの破損によりロストしてしまう痛手)

まぁまぁ。昔から
トランプカードゲームや、麻雀とか
ボウリングも元々ナインピンというギャンブルゲームだったり。

社会現象になったり、これが重大な影響が出そうになると「規制」や「禁止」と行った具合で、時にそのゲームの形を変え、ルールを変え、それでもなおもハマり続けたり
韓国ではインターネットカフェで、オンラインゲームのプレイ中にリアル昇天したり(肉体的な死)

ハマりすぎて1日、20時間。
睡眠3時間、時に寝ながら画面見て
ナルコレプシー状態でも、ゲームが大事と言う人も中にはいるね。

活学師として「学問」として捉える事と「活かす」って側面で物事を捉えるならば

「ゲームの後に何を残すのか?」と言うテーマを提供したい。

現代のオンラインゲームは何によって成り立っているか?
「端末(タブレットスマホ、PC等)」
「インターネット環境」
「ゲームデータの提供元」
「自身のセーブデータ」
「電気の供給」
「ゲームをやる空間」

それと「自分のカラダ」「協力or対戦相手(自分以外のプレイヤー)」

他にもあるかもしれないけど
それらのどこかが欠けると、たちまち不具合を生じる脆い存在である。
じゃあ、そのゲームが何らかの原因で終了したら?

そしたら次の移動先のゲームを見つけてゲーム&ゲーム。

それってわたしは人生と輪廻転生の真理だと思うね。

「ゲームは飽きたらやめる」のが普通。
「疲れたら休む」のが普通。
なぜか?
カラダ(ニンゲンとして)の限界のサインだから。

「作業でゲームを続ける」
「惰性でもゲームをやり続ける」
「眠くなろうが体調不良でもゲームを続ける」
ならゲームの先の何かを求めている事である。

ゲームでピンと来ない人は「仕事」にワードを置き換えてごらんよ。あら不思議。

「今の日本社会における病(やまい)」だし
「思考停止」続く「感情停止」の前兆行動だからさ。

ゲームは楽しくやりたいかな?
「負けたら楽しくない」のと
「負けたら悔しい」は違う感情だし。

逆に「勝ったら楽しい」のと
「勝ったら嬉しい」もそれぞれ
ゲームに対する目標が異なるから起こる。
楽しみ方の人それぞれの課題ね。

そこは混同を避けたい所だ。

活学師→ゲームのあり方は
「楽しむこと、学びに使えること、健康であること」

ゲームの世界を超えたらノーサイド

それはお約束だわね。
どんな趣味、生活にも共通項だと思わんか?