ゲームと学び
○ゲームは過去も未来も続くだろうね
もっともわたし自身が好んでやっている一面があり、19の時に書いた自伝の最後にも
「わたしは一生ゲームバカでいるでしょう」という記述で終えている。
あれから13年経つ。
ゲームとの出会いから、二次元との恋愛含めて。そうだなぁ…
人生の30/33を占めているってことか…。
(二次元との恋愛は…、機会があるときに書こう16-26。ある種一筋と考えれば長いつき合いになるし、ある種の蜜月ってヤツだ)
まず何が魅力か?と言えば
「面白い」を中心に据えれば
言葉は必要分だけでOKだ。ルールさえ伝われば、年齢・国籍・文化関係なし。
「共感しあった者同士がつながる」
ゲームオーバー
→「ゲーム終了」でノーサイド。
「ノーサイド」も立派なラグビー用語だね。
ゲーム上での出来事でオシマイ。
そこを現実でイチャモンつけたり
「江戸の敵を長崎で討つ」とそんな事をやり出したらゲームきっかけで戦争が勃発するのと同じだわね。
ともすれば、戦争すらゲーム感覚?
手元の携帯電話や、電子ゲーム機では毎日戦争まがいの事件が繰り返されているではありませんか(*ゝω・*)ノ
(笑)
結局何を言いたいのか?と言えば
ゲームも仕組み、一定のルールで同じ物事の繰り返し。
ゲームの終わりは「飽きるまで続く」と言うこと。
それと、デジタルとアナログの
「決定的な違い」(重要!)は
電子媒体のゲームは、ゲームやサービスを提供している会社が「運営を終了」したら雲散霧消って事なんだわね。
何時間かけて築き上げた
「データ」も「ステータス」も全部思い出の中。
運良く、ゲーム提供元が「アーカイブス」として別な媒体で提供できても
「失ったデータが戻ってくるわけではない」と言うこと。
ただしこれだけは言えることなのだが
botやNPC、自律したAI(人工知能)を除いて
「あなたが向かっている画面の向こう側には生身の人間がいること」
それを考えれば、デジタルアナログ共通して同じゲームを楽しむ
ゲーマーがいるからこそ「楽しい」と言うことになるんだわね。
共通項を探してみると、面白いもんだ。
これからも、わたしのゲーム人生は続く。