なぜ人は生きているのか?

○古代人から未来人続くテーマですわね
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愛と憤怒を包むセラピスト以前に
「なぜ生きるのか?」
人としてよりも、一生物として。
英語じゃI was bone.って言われる内容。
わたしも詳しい方ではないんだけど受動形なんですよね。

受胎記憶がとか、子どもは親を選んで生まれてくるとか。
親子の縁は切れない、生まれた境遇は避けられない…
などなど、自分のルーツについた言及は数多く見かけるし
多くの古代人が「自分とは何なのか?」
「なぜここにいるのか?」というテーマに苦悩してきた事は
哲学とか、過去の記述を見れば明らかな内容だわね。

それで、自分の傾向やまだ見ぬ特性について「占い、統計学、性格診断、○○学」と呼ばれる内容を勉強し
自分自身の糧にしていく。

それでも占い通りに生きたいかな?
統計学で示した道だからこそ心底自分にあった生き方なのかな?

今はできない事→自分が将来的にやりたい(実現したい)ことなのか?

今できている事→継続したい物事なのか?

一つ一つが整頓されて腑に落ちていくと
自分の物として生かす事ができる。
自分自身で自ずと見えてくる。

占いや学問の力に振り回される必要もなくなる。
必要な学問を備えておけばいいんだわね。

人生で苦悩するのは
「やりたいと思っていた事が思った通りの現実にできなかったり」
「自分がやっている物事が、何に繋がっている事なのかが分からなくなった時」に起こるものだ。

そして苦悩している時も
自分の身の回りは、自分を待たずに進み続ける。

なぜ生きているのか?
分からななくなった時は
「自分が今生かされている事に感謝することだ」

過去にやってきた事に
「しまった、しまった…」
「やってしまった、やってしまった…」
「失敗した、失敗した…」
何遍言ったところで、思ったところで
戻っては来ないのだ。

感謝することは「今の自分にできること(生かされていること)」を無意識で、再認識できる言葉だ。

ここから自分の「やりたいこと」につなげていく。
継続?新規開拓?
いずれにせよ、自分の意志で動くこと、自分の意志で止まる事が
「何故生きるのか?」の問いに答えてくれる事だと思う所である。

止まることも含めて、自分の意識で動いている事をまず認識しよう。