若者の突然死

○違和感を感じませんかね?

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若い人の突然死。特に心筋梗塞

それらに関して何が影響しているのか?
環境的要因・社会的要因・経済的要因
本人の要因もあるだろうけど

心臓の病って、時点で今まで隠蔽されてきた物事について「クサいものに蓋」で済ませてきた物事が
「蓋だけでは隠し通しきれない」事態がやってきたのかな。と踏んでいる。
環境要因の事もあるんだけど、精神力やメンタルにはまだ究明されていない神秘の力があると思うんだわね。

内臓と筋肉
臓器も、筋肉の塊だったりするんだけど実は感情や考え方とも繋がっていて。

「喜び」と繋がっているのが「心臓」だったりするのね。



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五臓六腑全部揃って、一人の人間としての機能を果たしているんだけど
若者が「心臓を病む」って事は先ほど話した
「環境・経済・社会」に喜びが持てない。
「恐れの過剰」「怒りやプレッシャー」

意気軒昂として、社会人になったはいいけどプライドをへし折られた、学生として上手に生きる事と、社会人として上手に生きる事の質の違いに
「悲しさを抑えきれない」→「どうしよう…」
→「それでも生きていかなければならない」

いわゆるmustの人生ね。
そう言った潜在的な感情が表立ってきたようです。

いつの時代も「幸せとは何だろう?」「ココロの底から喜べる日は?」

和みの海式で答えを一つ出すなら
1.「本当にココロの底から楽しいと思うことを一つ一つ準備していく」
2.「自分に必要なことを、自分自身で用意していくホットあるいはクールな時間の使い方」
3.「ご飯を食べる仕事と、真剣に打ち込める遊びとの統合」

これが一つの答えになると思っている。

仮に明日が「心臓が止まる日」であっても喜びで満たされていたら、それはむしろ本望ではあるまいかな?

今の若者であれ、人生の最後に青春を置きたい人であってもね。

(注:冒頭の写真は、たそがれ処和みの海の2階から撮りました、記事を書いている場所として載せました次第です)

ゲームと学び

○ゲームは過去も未来も続くだろうね
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もっともわたし自身が好んでやっている一面があり、19の時に書いた自伝の最後にも
「わたしは一生ゲームバカでいるでしょう」という記述で終えている。
あれから13年経つ。

ゲームとの出会いから、二次元との恋愛含めて。そうだなぁ…
人生の30/33を占めているってことか…。
(二次元との恋愛は…、機会があるときに書こう16-26。ある種一筋と考えれば長いつき合いになるし、ある種の蜜月ってヤツだ)

まず何が魅力か?と言えば
「面白い」を中心に据えれば
言葉は必要分だけでOKだ。ルールさえ伝われば、年齢・国籍・文化関係なし。
「共感しあった者同士がつながる」

ゲームオーバー
→「ゲーム終了」でノーサイド
ノーサイド」も立派なラグビー用語だね。
ゲーム上での出来事でオシマイ。

そこを現実でイチャモンつけたり
「江戸の敵を長崎で討つ」とそんな事をやり出したらゲームきっかけで戦争が勃発するのと同じだわね。
ともすれば、戦争すらゲーム感覚?

手元の携帯電話や、電子ゲーム機では毎日戦争まがいの事件が繰り返されているではありませんか(*ゝω・*)ノ
(笑)

結局何を言いたいのか?と言えば
ゲームも仕組み、一定のルールで同じ物事の繰り返し。

ゲームの終わりは「飽きるまで続く」と言うこと。

それと、デジタルとアナログの
「決定的な違い」(重要!)は
電子媒体のゲームは、ゲームやサービスを提供している会社が「運営を終了」したら雲散霧消って事なんだわね。

何時間かけて築き上げた
「データ」も「ステータス」も全部思い出の中。
運良く、ゲーム提供元が「アーカイブス」として別な媒体で提供できても
「失ったデータが戻ってくるわけではない」と言うこと。

ただしこれだけは言えることなのだが
botNPC、自律したAI(人工知能)を除いて
「あなたが向かっている画面の向こう側には生身の人間がいること」

それを考えれば、デジタルアナログ共通して同じゲームを楽しむ
ゲーマーがいるからこそ「楽しい」と言うことになるんだわね。

共通項を探してみると、面白いもんだ。
これからも、わたしのゲーム人生は続く。

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スピリチュアルと現実

○昨今は色々なワードがスピリチュアルに関連する

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えっと、まず最近目にする物事で
新月」「満月」
およそ28日周期だから1ヶ月にそれぞれ1回は通る道だよね?

西洋占星術に合わせて、○○座の新月とか言うわね。
エネルギーが何とか…。だからこそ○○するのに最適です。

それらのラッキーアクションに移す前にちょっと考えて欲しい。

「自分は何を達成したいのか?」

ぶっちゃけ言うと「氣付き」があるだけでもラッキーだし「天啓」なんだわね。

それらの月の様相や、占星術
後になって反省する時に非常に役に立つ。自分の行動と意味を振り返るにはうってつけですね。
ラッキーアクションを行動にして、全員が同じようにラッキーになるかな?
ラッキーの受け取り方もそれぞれ違うのよね。

人それぞれバイオリズムも存在する。
そう言った星や月の羅針盤や指標も含めて
小宇宙→「自分の中の考え方、意識」
大宇宙→「宇宙の中の自分のあり方」

それを客観視するもう1人の自分
(俗に言うハイヤーセルフとも言うか?)

意識は向けた方に現実になる。

顕在意識は常に変わり続けるけど
潜在意識は根深く築かれる。

本氣で「成功」したかったら
成功に目線と焦点を合わせて現実を見ること。

成功に必要な要素が揃う度に
「成功」に向けた加速が実感できるだろうね。
新月、満月、小宇宙、大宇宙

自分の中心と、自分の外側に向く意識。
それぞれが自分の意図した方向で同調が取れていればOKだ。
なんたって、大宇宙から見たら一人一人が星のカケラのようなものだし
小宇宙から見たら人間のカラダそのものがおよそ70兆の細胞で構成された宇宙だからね!

わたしはここでブログを書いていること自体が、半分成功のようなものですよ(ゝω・)

あとはこの読者のみなさん
まだ見ぬご縁のある方と直接お話することだ。これを持ってもう半分の成功としよう。

集中力を上げる法

○うーん。「ありませんよ」って言ったら答えにならんよね?
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うん。アホなこと書いたね。
「集中」ってどんな時に必要だと思う?

期限が迫っている仕事に取り組むとき?
成果をあげなければいけないとき?
やり直しがきかない事に挑戦するとき?

共通して「限られた時間で、成果を上げる」
その事が必要なときに「集中」が物を言う。

1つは、自分の周囲にあるものが整頓されて、課題だけに向かえる環境だわね。
もう1つは「健康」であること。
あとはしっかり「現実を見ること」

これでバランスが取れる。

あとは集中するかしないかは「意志」次第。

どうしても「できない事」「不可能な事」に焦点を当てると
自分がやっている物事への自信が
「本当に大丈夫なんだろうか?」と思ってしまう事も出てくるだろう。

最悪の事態は「予防策」で防げる。
「これなら大丈夫」となるまでしっかり準備をする。
現場に立ったら「適切な行動」「必要な行動」を現実に持って行くだけだ。

一つ一つの物事への集中も大事だけど
「今回達成する課題」のゴールに集中力が向いているか?
動き出す前に確認する。

「今回達成する課題」にキチンと焦点が当たっていれば、足下の多少のブレに右往左往する事はないよ。
早めに氣付いて、判断素早く、修正量は小さくすると真っ直ぐ行ける。

現代の食と必要なこと

○今の食はどうだろう?

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「食べることは生きること」
脳みそや臓器も食べられた物で作られ、新陳代謝で常に入れ替わっている。

昭和63年の時と、現代(平成25年ぐらい)の食を比べてみる。

まずミネラル分が乏しく、ビタミンについては1/8程度。
そして糖質は20倍ときた。

お店に売られている物、一食いくら?に重点を置いた生活をしていると
黙って糖質過多になる日本の食事だ。

○○が悪い、△△のせい。
と、一概に問題点だけを潰せば、それでいいんだろう?と短絡的に考えた結果が
「カロリーを減らしてオマケにコストも抑えた、人工甘味料」の登場と言うことだ
そうだなぁ「アセスルファムK、Lーフェルアラニン化合物」
人工甘味料のみならず、旨味成分で使われる
たんぱく質加水分解物、○○エキス」
色味をよく見せよう
亜硝酸Na
保存の為に入れましょう
安息香酸Na

遺伝子組み替え食品の件もある。
「除草剤や殺虫剤で枯れない作物を遺伝子組み替えで…」
と、言うことは除草剤や殺虫剤のかかった作物を口にしていると言うこと。

虫や雑草は殺すけど、人に影響は0だろうか?

あ、色々な物があるけど
今回の話は「○○を食べてはイケナイ」の話ではございません。
その後の
「じゃあ食べる物が無くなるじゃないか!」
「手持ちの給料が少ないのにどうやって生活を…」
の話です。本題は。

1.食べ物は感謝して食べること。
2.自分で選択する自覚を持つこと。
3.使われたお金やエネルギーはどこへ行くか考えてみること。

裏を返せば
「食べ物にあらず、思った物は避けること」経済的な事由で食事が…
と言う人なら1日1食がオススメです。

1日の食事にかかる費用を1食に集中できます。

「使われたお金」の先が潤います。
と言うことは、経済優先主義で利便と味覚の旨味(神経系と脳みそを満たす)を追求された食品が、出回っている現状をアタマの片隅にでも入れておきましょう。

そのお金はどこへ行くか?
今回は「食」がテーマなのでまた今度の機会に話そう。

江戸時代の循環社会。
作物→料理→野菜くず→家畜→人を活かす→作物を作る→の循環なり。
作物→料理→人を活かす→排泄物→肥料→作物を作る→の循環もあった。

動物界の食物連鎖、食物循環を参考にしてみるのも、人の食生活を見直す一助になるかもしれないね?

現代の便利さと、食の多様性を理解した上で食を楽しんでいこう。

(注:画像は作り物のエビフライですよ(*ゝω・*)ノ)

意志の力

○意志の力は大きい

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意志の力は0が1に変わるぐらいの力を持っている。
物質的に考えても「無」「有」にあるいはそれと反対側の力の事も言うからね。

人が「変わる」「変わります」の瞬間に発生する物は
「意志」と「決断」なんだわね。

物事は現実化する、引き寄せの法則

書店で探せばすぐに見つかるところに置いてあるだろう。

どんなにセミナーを受けても
書店や図書館で、運命の一冊をみつけそこで「変わります」宣言しても
(心の中でも、有言実行も含む)

決断後のイメージが無意識でも、あるいは計画的にでも練られているから
「決断」できるんだわね。

決断は「決定する」と「判断する」を掛け合わせた言葉なのね。
決断は何によってできるか?を掘り下げると「意志」なんだわね。

理屈とか、定義とかは二の次。
「やります」「はい」
だけでいいの。それでOK。

人はそれだけでは無いんだわね。
「やる」と決断したり
「やります」と宣言した事。

口から出した言葉や、文字に書き表した言葉には「達成」or「完了」ないし「終了」の「意志」も必要になってくる。

始めることはカンタンでも
終えることの難しさはここにある。

どんな「終わり」に向くにしても
「始まりの意志」が無かったら
いつまで経っても「終わり」は見当たらない。

だからこそ「達成」するまでの事はやりたい。
「完了」や「終了」になっていない物事は、概要はアタマの中に残っていなくとも、カラダはキチンと覚えているのだ。

物理的な力や能力だけで見れば、1人の力には限界があるだろう。

それでも「意志の力」って宇宙を動かすまでの力になるんだわね。
信じられる?
信じられなかったら「命の源」がどこからやってきたか、たどってみるといい。

類人猿?恐竜?初の脊椎動物の時代?単細胞生物?それよりももっと前!

みんな宇宙に繋がっていると思わんか?
星とか空間とか…。

形を変えて場所を変えて、銀河の中の太陽系の地球の…
そんだけの前から「意志」って存在するんだわね。

どこまでも小さくすれば、人間の体内にもみんなミトコンドリアはあるし
ミトコンドリアから見れば、人の細胞や体内構造も一つの宇宙と見ることもできる。

それ考えると、人も生物も、空間も全部宇宙の一部と考える事もできるし
それぞれが「意志」を持って動いていると思っても、何となくお分かり頂けるだろうかな?

なぜ人は生きているのか?

○古代人から未来人続くテーマですわね
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愛と憤怒を包むセラピスト以前に
「なぜ生きるのか?」
人としてよりも、一生物として。
英語じゃI was bone.って言われる内容。
わたしも詳しい方ではないんだけど受動形なんですよね。

受胎記憶がとか、子どもは親を選んで生まれてくるとか。
親子の縁は切れない、生まれた境遇は避けられない…
などなど、自分のルーツについた言及は数多く見かけるし
多くの古代人が「自分とは何なのか?」
「なぜここにいるのか?」というテーマに苦悩してきた事は
哲学とか、過去の記述を見れば明らかな内容だわね。

それで、自分の傾向やまだ見ぬ特性について「占い、統計学、性格診断、○○学」と呼ばれる内容を勉強し
自分自身の糧にしていく。

それでも占い通りに生きたいかな?
統計学で示した道だからこそ心底自分にあった生き方なのかな?

今はできない事→自分が将来的にやりたい(実現したい)ことなのか?

今できている事→継続したい物事なのか?

一つ一つが整頓されて腑に落ちていくと
自分の物として生かす事ができる。
自分自身で自ずと見えてくる。

占いや学問の力に振り回される必要もなくなる。
必要な学問を備えておけばいいんだわね。

人生で苦悩するのは
「やりたいと思っていた事が思った通りの現実にできなかったり」
「自分がやっている物事が、何に繋がっている事なのかが分からなくなった時」に起こるものだ。

そして苦悩している時も
自分の身の回りは、自分を待たずに進み続ける。

なぜ生きているのか?
分からななくなった時は
「自分が今生かされている事に感謝することだ」

過去にやってきた事に
「しまった、しまった…」
「やってしまった、やってしまった…」
「失敗した、失敗した…」
何遍言ったところで、思ったところで
戻っては来ないのだ。

感謝することは「今の自分にできること(生かされていること)」を無意識で、再認識できる言葉だ。

ここから自分の「やりたいこと」につなげていく。
継続?新規開拓?
いずれにせよ、自分の意志で動くこと、自分の意志で止まる事が
「何故生きるのか?」の問いに答えてくれる事だと思う所である。

止まることも含めて、自分の意識で動いている事をまず認識しよう。